Vol.5 事件が起こったすこし後 つづき
最寄りの地下鉄の駅からJRの駅まで出て、JRを2路線乗り継ぐというのが当時の通勤経路でした。
地下鉄は何とかクリアできたものの、JRの駅に着いたところから動けなくなってしまいました。
息苦しさはどんどんと増していき、心臓の鼓動も恐ろしいほどに速くなっていきます。
いくら落ち着こうとしても、どうやってもおさまりません。もう自分ではどうしようもないと思い、藁をもすがる思いで、加えて勇気を出して、JRの駅の医務室に駆け込みました。
私の症状は不思議なもので、心臓の鼓動は死ぬほど(死なないのですが)速くなって、息苦しさも半端ないのですが、人と会話は何とかできるのです。しかも割と元気な感じで。
この時も同じでした。医務室にいた年配の看護師さんは、血圧を測ったり問診をしたり、一通りの作業をこなした後、特にすべきこともないことがわかり、私は放置されました。
見かけからはさして具合が悪いように見えない私に対して、まだ休んでいるのか、というような声をかけられました。そして、いつまでも休憩室から出ていかない私に、選択を迫りました。
もうすぐ、この医務室は営業時間が終わる。そうすると、ここは使えなくなる。
すぐ帰るか、救急車を呼ぶしかないけど、どうしますか?、と。
そんな殺生なと思いましたが、その方も仕事ですので、そこまで一人の人間に時間と労力をかけることはできないのでしょう。今ではその方も、私のような人にあたってしまって不運だったんだろうな、と思うことが出来ます。
自宅の場所はどこか、と聞かれてJRに乗っておよそ30分ちょっとだと伝えると、
「そんな近くなのに、帰れないの?」
と言われました。
私には、近いんだから帰れるでしょう。と言っているように聞こえました。いや、そんなことを言われても無理なんです、と力なくこたえるしかありませんでした。申し訳ないのですが、救急車を呼んでいただけますか、と答えました。
そんなことで救急車を呼んではいけない、と思われる方もいるでしょう。
確かに、その通りだと思います。ただ、それは今振り返って初めてそう思えるだけで、その時はそれしか選択できなかったのです。言い訳かもしれませんが、その時わたしは対処方法を全く知らなかったので、頼るのは病院しかなかったのです。
やがて、サイレンとともに救急車が到着し、私は救急車の中に運び込まれました。
会社から救急車に乗せられた時よりも多くの人々の注目を浴びながら。今回も、そんなことに構う余裕はまるでありません。
救急隊の方に容態を伝えると、この間と同じように
「なんだ、救急じゃないじゃないか」というような救急士さんの反応でした。
ま、そりゃそうですよね。
これまで、救急車に乗る機会はそんなになかったので、わかりませんでしたが、
乗ればすぐに病院に連れて行ってくれるわけでは無いってことをこの時知りました。
先日運ばれた大学病院を伝えますが、診療券が無い事がわかるとそこは無理だなと。
ほうぼうの病院をあたってくれますが、なかなか決まらない。
ようやく決まったのは、今いる場所から少し自宅よりの、これまた大学病院。名前を知っているという意味では、この前行ったところと同じくらい有名な病院でした。
運び込まれると、一通り状況を確認。そして、結果は同じく
処置は不要。休んだら帰ってくださいとのことでした。
1時間と少し。ベッドでただただ我慢して。じっと耐えていると、少しずつ回復していきます。自分で息をして、自分で生きている感じ、自分の中で生気がよみがえってきます。
まだ、ふらふらしていますが、救急に長居してはいけないと思い、帰る決心をしました。
さて、どう帰るか。
やっぱり電車に乗って帰るのは、行ける気がしない。
途中で具合が悪くなるのでは、目に見えている。
結局、その日も、そこからタクシーで帰宅することになりました。
ぐったりと疲れて、また、呆然としたものです。
明日からどうなるかなんて、その時には考える気力もありませんでした。