Vol.16 過去を振り返る(その1)
カウンセリングで自分の思考の癖に気づいたわたし。
私は、常に
「普通」でないといけない。
そう思って生きていました。
普通に過ごすことが出来ない私はダメな人間だ。
そう思って、賢明に普通に過ごすことができるう人間になろうともがきました。
なぜ、そんなふうに思うようになったか。
それを考えるために、記憶を振り返ることにしました。
物心ついた小学校低学年の頃。
私はとても食の細い子供でした。
家で食事をしていてもすぐにお腹が一杯な感じになってしまいます。
自分が他の人より食べる量が少ないことに気付いたのは、親戚の集まりでした。
同年代の子供たちと一緒に親戚一堂と食事をする。
私には、そういう機会が良くありました。
そういうとき、決まって私は、出された食事を残さずに食べることが出来ず、嫌な思いをしました。従兄弟のみんなは普通の子供より良く食べるほうで、事あるごとに比べられました。その度に、食べられない事はダメな事だ。食べられない自分はダメな自分なんだ。と思っていました。
外食をするとき、大勢の人と一緒に食事をするとき、食べることが難しかったのです。気持ちが悪いほどではないのですが、喉の少し奥まで何かが一杯に詰まっているようで、お腹が一杯で食べれないというのとは少し違った感覚でした。
でも、小学2年生にそんな事はわかりません。
学年があがって4年生になったころ、事件が発生します。
給食を全く食べることが出来ない日が出てきたのです。
特に元気がないというわけではありません。
でも、喉まで一杯で食べれない。
週に数日食べれない時もあれば、毎日食べれないこともありました。
担任の先生も、どうしたんだろう、と一緒に心配してくれました。
もともと色が細かったので、その延長線上の話だろう。私も周囲もそういう風に考えていたんだと思います。
高学年にあがって、様子は一変しました。
担任が変わりました。戦争を体験している年輩の女性教師で、とても怖いと評判の先生でした。
担任になった初日。彼女はこう言いました。
「給食を残す事は絶対に許さない。
食べ物を粗末にするのは言語道断だ。」
数日経って給食が始まりました。
私は、予想どおり、給食を少しも食べることが出来ませんでした。
ここから、壮絶ないじめが始まりました。
いじめたのは、クラスメイトではなく、その先生でした。