Vol.17 過去を振り返る(その2)
給食を文字通り少しも食べることが出来なかったわたし。
どんなことになるのか。どんな風に怒られるのか。
恐れおののいていると、予想通りとういか、その教師は烈火のごとく怒り始めました。
「こんなに残すなんて、どういうことなのか。
残すことは許されないので、絶対に食べなさい。」
ただでさえ食べられないのに。。。そんなことを言われて食べられるわけがありません。10分経っても、15分経っても変わりません。緊張で気分はどんどん悪くなります。
教師は給食当番に先に片づけるよう言いました。
お昼休みも終わりに近づいていきますが、私はまだ机に残っている給食を前に固まっていました。
午後の授業が始まる時間になってしまいます。
その教師はこう言いました。
歩いて、廊下の端にある給食室にたどり着きました。学年には5クラスあったので、他のクラスの子供たちの視線も突き刺さります。
パンやおかずの給食道具を返す場所に、私一人分のトレイを置きました。給食のおばさんもキョトンとしていました。
これが、2年間。
2年間、休まず続きました。
小学校も高学年になると、林間学校など学校外の活動もあります。
そういう時は、学年全員で食事をします。
私は、学年全員がいるまえで、その教師から大声で怒られ、はたかれました。
前の担任が心配して声をかけてくれました。
でも、今の担任の方が学校内での力が上だったのでしょう。
一度、声をかけてくれましたが、それだけで何の助けにもなりませんでした。
給食以外でもその教師からはいびられました。
「給食を食べないのはわがままだからだ。」
事あるごとに、こう断言されました。
あるとき、健康診断で保健室で内科の診察を受けることになりました。
他のクラスの子供も一緒に、たくさんの子供が保健室の中や外で並んで待っていました。そこで、その教師は来校していた内科医に、
「この子はシュガーボーイなんです。我儘な子なんですよ、先生。」
と言いました。これも、多くの子供がいる前で、私に向けて放たれた言葉です。
何を言われているのだろう???
この頃、私はこういった仕打ちに鈍感になってきていました。
給食の時間を除いて、私は元気に過ごしていました。
ただ、間違いなく私の身体は壊れていきました。
食べられないのは、精神的におかしいのではないかということになり、近くの総合病院に行くことになりました。
神経科というところに連れていかれ、箱庭をつくってみたり、何かの試験を受けたりしましたが、給食が食べられるようにはなりませんでした。
この時、給食が食べられなかったのは、ただ気持ち悪くなってしまう、喉まで何かでいっぱいになった感じがしまうからで、特に精神がどうとか、という感覚はありませんでした。
なぜ、そうなってしまうのか。全くわかりませんでした。
今から考えると、これは全く持って精神的なもので、こうでないといけない、という強迫観念のようなものが原因だったのだと思います。
中学にあがってから、それがはっきりしました。
給食初日から、普通に食べられたのです。
ただ、その後も外食で思うように食べられないのは変わらず続きました。
それは、全て私が精神的に弱いからだ。私が弱いからいけないのだ。
ずっとそう思っていました。